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04 / Yuichiro Akamatsu

赤松祐一郎

VANLIFE in BIFUKA

 −会社を、辞めた。

 会社に辞表を提出した。
 受験を乗り越え大学に入学、そして大学院を卒業、厳しい就職競争を経て、やっと就職できた大手の会社を辞めるのだ。人生をかけて積み上げてきた積み木を一気に崩すような、そんな心境だった。

 
 決して会社の待遇が悪かったわけでもなく、人間関係もそこそこだ。ただ、毎日繰り返される生活サイクルと時間的な拘束が一生続くことに、息が詰まるような感覚を覚えたのだ。

 
 今まではいわゆる、“ふつう”の人生を歩んできた。
 大学を出て、就職して、働いて、家庭を持って、家を買って……漠然とそんなイメージを持ちながら、考えているようで何も考えず生きてきたのだ。誰に決められたわけでもないのに、流されて、知らぬ間にレールの上を走っていた。ただ、ふとした時にそれが自分で選んだ道ではないことに気がついた。そして僕はそのレールから脱線することを選んだ。

 
 先のことは全く決まっていない。辞表を提出した僕に残ったのは、大きな絶望感と1mm程度の希望だけだった。

 −車で暮らすという選択。

 仕事をやめた僕が選んだ生活のスタイルは「車の中で寝起きをする」というものだった。

 
 現在、僕は1978年製のフォルクスワーゲンの“ワーゲンバス”と呼ばれる車で北海道内を移動しながら車中泊生活をしている。最近の造語では「バンライフ(VANLIFE)」なんて呼ばれ、海外ではそういう生活をする人も少なくない。

 
 そんな車中泊生活も、みすぼらしい世捨て人のものと見られることもあるかもしれない。あるいは人によってはロードムービーのようなロマンを感じるかもしれない。もちろん僕がこの生活を選んだのは“自由気ままに好きな場所で生活ができる”という理由もある。ただ、それ以上に僕が求めたのは“時間”、そして“自分なりの仕事”を手に入れることだ。

 
 なぜ車中泊生活をすることがその二つに繋がるのか、僕の考えはこうだ。

 
 まずは“時間”について。車中泊で生活をすると必然的に発生していた“家賃”と“光熱費”がほぼ0になる。それによって生活費を月5万円程度に抑えることができる。無理して働かなくても生活を維持することができるようになるのだ。

 
 サラリーマン時代の給料は良かったが、拘束時間は長くて支出も多かった。家賃や光熱費のほかにも、休日には外食や娯楽にお金を使って仕事のストレスを発散する。そうやって自分をごまかしながら、いつものように憂鬱な月曜日を迎えていた。そんな負の連鎖から抜け出したかった。

 
 現在は月に数日好きな仕事をやって、あとは全て自分の時間として使うことができる。こうして“時間”を手に入れた僕が次に求めるのは“自分なりの仕事”だった。

 
“自分なりの仕事”とはなんだろう。それは起業家だろうが経営者、投資家だろうがなんでもいいのかもしれない。ただ、雇用という形態ではなく自分発信で何かをやっていきたいと思っている。現段階で最もしっくりきているのはパソコンを使った情報発信やwebライティングの仕事である。

 
 この仕事の良いところはパソコンさえあればどこでも仕事ができる点である。幸いにも僕には「車中泊生活」というネタがあるため、自分の経験を発信することで少しずつ仕事になってきている。現にこの文章の依頼も、ある意味ではこのライフスタイルがもたらした仕事の一つなのである。そして僕はこの文章を、北海道内で道北とは真逆に位置する函館の駐車場で書いているのである。

 
 そんな、場所に縛られず、経験を活かした“自分なりの仕事”を生み出していくことがこの生活の二つ目の目的だ。仕事のあり方は時代によって変わるものだ。少しずつ芽が出てきているこの仕事を大切に育てていきたい。それが、僕が”車中泊生活”を送っている理由だ。

 −辿り着いた道北の地。

 
「美深町でクラフトビール造りを手伝わない?」
 ビール造りに携わる先輩が、そんな風に声をかけてくれた。ちょうどニセコでの冬の生活を終え、次にいく場所を考えていたので「とりあえず1回行ってみます」と返事をした。

 
 美深町と聞いた時に感じた印象は、正直「美深町ってどこだろう……?」と、そんな感じだった。北海道民の僕でも“道北の地”はほとんど訪れたことのない未知数な場所だった。

 
 新たな場所を開拓する。そのことにワクワクしながら北に向かった。車を走らせること数時間、目の前に広がってきたのは疲れも吹き飛ぶような緑豊かで開放感のある風景だった。映画で見た、夏休みの少年が訪れる風景、そんなイメージだ。そこから少し走り、美深町に新しくできたクラフトビール醸造所に到着した。レンガ作りのオシャレな建物で、なんとなく町から浮いているようにも見えた。

 
 醸造所は設備を入れたばかりで、まだ稼働ができないような状態だった。その日は少し作業を手伝って、夜は美深町の地元民も含めてお酒を飲み交わした。酔いが回って出てくる話題が、美深町の魅力であったり、クラフトビールを通じて美深町に新たな文化を創造していくことであったり、そんな想いに溢れる話題ばかりだったのが印象的だ。そのエネルギーを目の当たりにすることで、僕はここに携わりたいと感じた。そして僕は美深町に滞在することを決めた。

 −美深町での日々。

 美深町での滞在を決めた僕は、駐車場に住み着いた。
 工場での作業を手伝って、夜は車で寝る。そんな毎日が続いた。クラフトビール造りはトラブルが続き、醸造を開始するまでには1ヶ月以上を要した。0から1を生み出すことにはトラブルはつきものだ。そのトラブルを1個1個超えていくことが重要なのだと非常に勉強になった。

 僕が住み着いて2ヶ月、初めてのビールが完成し、多くの人に振る舞われた。自分が携わったビールほど美味しい物はない。皆が美味しいと飲んでくれている姿を見ると、微力ながらここに携わることができて本当に良かったと思えた。

 美深では農作業も経験できた。丸々と大きくなったカボチャを一つ一つ手作業で収穫し、磨くのだ。お店に並ぶまでにこんな苦労があるのかと、手と腰を痛めながら身をもって体験することができた。一生で食べる以上の量のカボチャを収穫した自信はある。

 ビール造りと農作業の仕事が終わった後は、美深町の爽やかな風に吹かれてぼーっとした。疲弊し切って死んだような顔をしていたサラリーマン時代とは大違いだ。理由はわからないが、疲労とともに心が満たされる感覚が確かに得られた。

 美深町の自然はとても綺麗で、時期によってそれぞれ違う表情を見せる。時には青々とした緑が茂り、時にはそばの花で一面が銀色の絨毯に。黄金色に染まった小麦畑だって見ることができる。雄大な天塩川が街の脇をマイペースに流れている。そんな自然を楽しむことで心が癒された。

 美深町で一番好きな時間帯は夜だ。まるで世界に自分しかいないような感覚になるほど、しんと静まり返っている。これが本物の夜だと言わんばかりの静けさの中で、ホッとして星を眺めている時間が大好きだった。

 そんな生活を約3ヶ月間、美深町で過ごすことができた。美深町には美しい自然と、暖かい人たちがいる。何も無いけれど、全てがそこにあるような充実感を覚えた。

 
 −そして、次なる場所へ。

 今は美深町を離れ、次の場所へと移った。
 美深町で過ごした時間は本当に充実していた。車で生活する変なヤツを受け入れくれて、本当に感謝しかない。最初は未開だった美深町への道も、今となってはしっかりとした道として自分の中に刻まれた。

 きっと、これからも僕は美深町を訪れるだろう。なぜなら冬の美深町も、地元の人々のことも、もっと深く知っていきたいからだ。一度できた道は簡単に通ることができるのだ。 

 僕の人生のこれからの道は未知数だ。きっと草もボーボで、左右にぐにゃぐにゃとうねっているかもしれない。断崖絶壁もあるだろう。それでも自分のやりたいように進んでいく。そうして後ろを振り返ると自分らしい道ができあがっていると信じているからだ。
 そう、これが僕の道のりだ。

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西山 繭子

01/Mayuko Nishiyama

女優としてTVや映画、舞台などで活躍する一方、多くの小説を発表。主な著書に『色鉛筆専門店』(アクセス・パブリッシング刊)、『しょーとほーぷ』(マガジンハウス刊)など。

富井 弘

02/Hiroshi Tomii

伝説のアルペン王トニー・ザイラーとの交流でも知られるスキーヤー。還暦を機に名寄市に移住、80歳を過ぎてなお「富井スキースクール」校長としてスキーの魅力を伝え続ける。

数井 星司

03/Seiji Kazui

札幌市出身。個展の開催や、海外での作品発表など精力的に活動する写真家であり、アートディレクターとして企業や自治体などのデザインプロジェクトも広く手がけている。

赤松 祐一郎

04/Yuichiro Akamatsu

大学卒業後、大手ビールメーカーに就職。生活を見直すために脱サラして北海道に渡り、現在は車中生活を送りながら“バンライフ北海道”の名で北海道や車中泊生活の魅力を発信中。

栗岩 英彦

05/Hidehiko Kuriiwa

二度にわたる世界一周など各地を放浪する旅の後に下川町に「レストラン&カフェMORENA」をオープン。旅の記憶を描く絵画の制作活動を続け、道内外で個展も開かれている。

星野 智之

06/Tomoyuki Hoshino

月刊雑誌「東京カレンダー」編集長などを経て、2019年6月に美深町紋穂内地区に3室だけのホテル「青い星通信社」を開業。主な著書に短編集『月光川の魚研究会』(ぴあ刊)など。

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