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06 / Tomoyuki Hoshino

星野智之

村上春樹とジャック・ロンドンの旅路

 美深町は世界的な小説家、村上春樹の代表作の一つである長編『羊をめぐる冒険』の舞台となった町である!……と、こういう話をすると少なからぬ人が、疑いの眼差しを私に向ける(気がする)。そのココロはおそらく「あんさん、そんなエラい作家はんが、そもそもこない小さい町のこと、知るわけおまへんやろ」といったところではないかと思われる(えせ関西弁であることに意味はないです)。一歩踏み込んで、「なんか証拠あんの?」と訊く方もいる。うん、確かに作者・村上春樹はそんなことはひと言もいっていない。作品の中でも舞台は“十二滝町”という架空の地名で呼ばれるだけ。いや、だからその十二滝町っていうのは美深町をモデルに作られたんですよと言っても、にわかには納得してもらえないのも、まあ、仕方がないかなとは思う。そこでここでは、次の二点について考えてみたい。

 
①本当に美深町は十二滝町のモデルなのか? 
②もしそうなら、なぜ美深町が舞台に選ばれたのか?

 とはいっても、①は実はさして難しい問題ではないのだ。舞台の町については物語の中で「札幌から道のりにして二六〇キロの地点である」と明言され、札幌から「旭川で列車を乗り継ぎ、北に向かって塩狩峠を越え」、さらに「もうひとつ列車を乗り換え」、「東に向きを変えた」先にあると説明されているのだから。「終点である十二滝町の駅」では駅員が主人公に向かって「この線だってさ、あんた、いつなくなるかわかんないよ。なにせ全国で三位の赤字線だもんな」と語りかけてもいる。となれば、現実の世界でこれらのヒントに当てはまる場所は美深町の仁宇布地区以外にはない。おまへん。

 
 実際、『羊をめぐる冒険』発表の3年後にあたる1985年までは、旭川を起点に塩狩峠を越えて北へ向かう宗谷本線から枝分かれする形で、美深町中心部の美深駅から東へと旧国鉄美幸線が延びていた。仁宇布駅はその終点であり、そして美幸線は長らく“全国一の赤字線”と呼ばれていた。さらに『羊をめぐる冒険』の発表から30年余を隔てた2014年、十二滝町探しは新たな展開を迎えることになる。村上春樹が前年、雑誌に発表した短編『ドライブ・マイ・カー』に関して、作中に登場した北海道の中頓別町という地名が単行本収録時に変更されるという、ちょっとした事件が起こったのだ。作者はこの経緯について同作を収めた短編集『女のいない男たち』の中で、「『ドライブ・マイ・カー』は実際の地名について、地元の方から苦情が寄せられ、それを受けて別の名前に差し替えた」と触れているが、ここで中頓別町という実在の地名から改変されたのが、“上十二滝町”という架空の地名だった。“上”といえば地図上では北。上十二滝町とは十二滝町の北方に位置していると考えるのが自然だろう。そして現実の中頓別町の南に広がっているのが(町境を接してこそいないが)美深町であり、特に仁宇布は北海道道120号美深中頓別線の起点となり、終点の中頓別と直接につながっているのである。中頓別町が上十二滝町である以上、十二滝町とは当然、美深町だ。

 
 となれば、次は問い②。この美深町仁宇布という土地が物語の舞台として選ばれたのはなぜか? 

 こっちは難しい。なにせ作者本人が何も語らないのだから。ただ、ヒントはある。それは『羊をめぐる冒険』に先立って発表された短編「彼女の町と、彼女の緬羊」という作品の存在だ。だいたい村上春樹は「螢」という短編をもとに『ノルウェイの森』を書いたり、「ねじまき鳥と火曜日の女たち」という短編から『ねじまき鳥クロニクル』を生み出したりと、自分が書いた短編をリサイクルして長編化するということを何度もしている。ある女の子が自分の故郷の町を案内する番組を主人公がテレビで眺めるというストーリーの「彼女の町と、彼女の緬羊」もやっぱり、北海道と羊がテーマになっていることからして『羊をめぐる冒険』の原型となった短編であることは間違いないだろう。だとすれば作品の中で“R町”と書かれている「彼女の町」の特徴の中に、『羊をめぐる冒険』の舞台に美深町仁宇布が選ばれた理由を見出すことができる可能性もある。そう考えて「彼女の町と、彼女の緬羊」を読み直すと、番組の中で“R町”の歴史について女の子が語ったある言葉が、重要な意味を持って浮かび上がってくる。−「明治の中頃にはこのR町の近くを流れるR川に砂金が発見されたために、一大砂金ブームになったことがあります。しかし砂金が取り尽くされてしまうとブームも去り、幾つかの小屋の跡と山を越える小さな道だけが当時の面影を偲ばせています」。

 
 明治の中頃にゴールドラッシュが起こった町。それは実在している。実は美深町とその町とを結ぶために計画された鉄道路線が美幸線だったのだ。といえば、わかる人もいるかもしれない。そう、それは北見枝幸だ。美幸線という路線名は 美深と枝幸とを結ぶという意味で付けられたもので、仁宇布は本来、終着駅ではなく途中駅となるはずだった。しかし先行開業した美深-仁宇布のあまりの赤字路線ぶりが問題視されたためか、北見枝幸まで列車が走る日は遂にこなかった。

 
 そして、いわば幻の終着駅となった北見枝幸こそが、かつてゴールドラッシュに沸いた土地だった。1898年(明治31年)、付近を流れるウソタンナイ川の川床から大量の砂金が発見され、その年の4月時点ではわずか25人ほどだった砂金採掘者は9月には5万人を数えるに至ったという。このゴールドラッシュ到来とともに与えられた北見枝幸の別称が、“東洋のクロンダイク”というものだった。クロンダイクというのは、カナダとアメリカ(アラスカ州)の国境付近に広がる地域の呼び名で、1896年に金鉱が発見されると一攫千金を狙う人々が大挙して訪れた土地だ。わずか2年後には明治の人々が北見枝幸を“東洋のクロンダイク”と呼んだことを考えると、このカナダ辺境の地に巻き起こったゴールドラッシュが、当時からいかに世界的な注目を集めていたかがわかる。10万もの人々がクロンダイクを目指して荒野を進んだらしいのだが、その中に、実は後に高名な作家となる若者がいた。『野性の呼び声』などの作品で知られる、ジャック・ロンドンである。彼は金の採掘で儲けることこそできなかったのだが、過酷な環境のクロンダイクでの体験を小説に書き、当時世界最高の原稿料を稼ぎ出すほどの成功を収めたアメリカの作家だ。

 ここで先走って②の答えを言ってしまえば、おそらく村上春樹はジャック•ロンドンのクロンダイクへの旅になぞらえて『羊をめぐる冒険』の登場人物たちを“東洋のクロンダイク”北見枝幸に向かうはずだった美幸線に乗せた。その美幸線の終点が仁宇布であった……というものだと思う。

 証拠らしきものもある。『羊をめぐる冒険』の後日譚として発表された長編小説『ダンス•ダンス•ダンス』だ。この作品が描くのは『羊をめぐる冒険』の四年半後の世界。前作で失踪した親友の痕跡を辿って北海道に渡り、旅の終着点の十二滝町でその親友と決定的な別れを体験した主人公が、今度はその十二滝町の山荘から忽然と姿を消した恋人の消息を知る手がかりを求めて再び札幌に向かう。このとき主人公が手にしている本が、なんとジャック・ロンドンの伝記なのである。「札幌までの列車の中で、僕は三十分ほど眠り、函館の駅近くの書店で買ったジャック・ロンドンの伝記を読んだ。ジャック・ロンドンの波瀾万丈の生涯に比べれば、僕の人生なんて樫の木のてっぺんのほらで胡桃を枕にうとうとと春をまっているリスみたいに平穏そのものに見えた」。

 この記述、実に唐突だ。ジャック・ロンドンとは何者かという説明もない。ストーリーとの間に何の関係も見出せない。作者はなんでこんなことをいきなり持ち出したのか?

 
 考えられるのは、これはヒントだということだ。村上春樹から読者へのヒント。主人公の二度にわたる北海道行きは、ジャック•ロンドンの旅をなぞったものなのだという暗示だ。村上春樹の作品は、実はこうした暗示や暗号に満ちている。表面のストーリーの下に何層もの別の物語が埋め込まれ、その物語に読者が辿り着くための秘密の通路が作品の中に作られているのだ。村上春樹の作品が魅力的なのは、この秘密の通路探しという独特のスリルが作品の中に用意されていることも理由なのだと思う。それを発見して封印されていた物語に触れられたとき、そこには不思議な感動が待っている。

『羊をめぐる冒険』の最終盤、十二滝町にあった親友の別荘は爆破され、主人公はそこから立ち上る煙をじっと見つめる。一方、現実のジャック・ロンドンは“狼城”と称される豪壮な山荘を建設するが、完成当日に原因不明の火事によってその理想郷は全焼してしまう。“東洋のクロンダイク”の地へつながるはずだった旧国鉄美幸線の線路を走る列車から主人公が三十分も見つめていた煙は、ジャック・ロンドンの城を焼き尽くした煙でもあったのだろう。ちなみに村上春樹とジャック•ロンドン、誕生日はまったく同じ1月12日である。

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西山 繭子

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女優としてTVや映画、舞台などで活躍する一方、多くの小説を発表。主な著書に『色鉛筆専門店』(アクセス・パブリッシング刊)、『しょーとほーぷ』(マガジンハウス刊)など。

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伝説のアルペン王トニー・ザイラーとの交流でも知られるスキーヤー。還暦を機に名寄市に移住、80歳を過ぎてなお「富井スキースクール」校長としてスキーの魅力を伝え続ける。

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札幌市出身。個展の開催や、海外での作品発表など精力的に活動する写真家であり、アートディレクターとして企業や自治体などのデザインプロジェクトも広く手がけている。

赤松 祐一郎

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大学卒業後、大手ビールメーカーに就職。生活を見直すために脱サラして北海道に渡り、現在は車中生活を送りながら“バンライフ北海道”の名で北海道や車中泊生活の魅力を発信中。

栗岩 英彦

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二度にわたる世界一周など各地を放浪する旅の後に下川町に「レストラン&カフェMORENA」をオープン。旅の記憶を描く絵画の制作活動を続け、道内外で個展も開かれている。

星野 智之

06/Tomoyuki Hoshino

月刊雑誌「東京カレンダー」編集長などを経て、2019年6月に美深町紋穂内地区に3室だけのホテル「青い星通信社」を開業。主な著書に短編集『月光川の魚研究会』(ぴあ刊)など。

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