Northern Mode

Northern Mode

旅と文学
『ノーザンモード』

コードは忘れよう。
これからは、モードで行こう。

マイルス・デイヴィスが自らのバンドのメンバーに向けてこの言葉を放った瞬間、ジャズの歴史は変わりました。モダンジャズの生命線はインプロヴィゼーション(即興演奏)。プレイヤーたちが競い合うように自由なアドリブを繰り出すことで出現する、火花ほとばしるスリリングな音楽がオーディエンスたちを魅了してきたのです。しかし、そんなインプロヴィゼーションも、ごく大雑把にいえばコード、つまり和音があるから可能になったものでした。あらかじめ曲のコード進行さえバンドで共有しておけば、その和音の中の音を出している限りは、それがアドリブでも他の楽器の音と必ず調和するはずだからです。

しかしマイルスは、その大切なコードを捨てろ!とプレイヤーたちに命じたのです。コードという約束の上に成り立つインプロヴィゼーション。それは本当の自由じゃない。コードに縛られているんだ。コードを守っている限りは道を踏み外すことはないかもしれないけれど、でもまったく予期しなかった場所に到達することもない。決められた道を進む演奏を続けるのは、俺の性分に合わないんだ……。おそらく、マイルスの真意はそんなところにあったのでしょう。コードが和音なら、モードは旋法と訳されますが、もう一度、大雑把な言い方を許してもらえるならば、それは世界各地に残るその土地や社会に独特の音階や調べといったところかもしれません。

過酷といえる自然のもとに暮らす人々には、
その人々なりの流儀があります。

ジャズやクラシックを学んできたマイルスは、そんな自分の音楽を形作ってきた土台であるコードから離れ、自分のまだ知らぬ土地に息づくモードを道しるべにして新しい音楽への旅に出ようとしたのです。そして、そんなマイルスの言葉から録音が始まったアルバム『カインドオブブルー』のきらめきは、いまも人々の胸を揺さぶり続けます。思えば、コードには規則という意味もあります。一方、モードには流儀という意味があります。コード(Code)とモード(Mode)、文字にすれば一文字しか違わないけれど、なんだか意味合いは裏返しと感じるほどに異なります。そしておそらく、道北という土地を動かしているのは、コードよりもモードです。

過酷ともいえる自然のもとに暮らす人々には、その人々なりの流儀があります。時として、それを守ることは細々とした規則を守ること以上に大切な意味を持つのです。この冊子はいわば、一札のノートです。道北を旅する上で守るべき規則などは、書いてありません。この土地に生きる、あるいはこの土地を愛する人々の、流儀が書き記されているだけのノートです。しかしそんな北のモードに触れることこそ、道北の旅の時間を豊かにしてくれる契機となるのかもしれません。だからここで、私たちもまた、皆さんにこう告げたいと思うのです。「コードは忘れよう。ここでは、モードで行こう」。

文:星野智之 写真:数井星司

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